1995年1月17日火曜日、平成7年1月17日の早朝、阪神・淡路大震災発生。私は当時、
東京都大田区仲池上に住んでいたので未曾有の震災のことは報道で知っただけ…
だが翌日一本の電話が。地盤地質調査会社の経営者から現地調査への同行依頼だった。
アドマンだった私は広告主からの指名に一つ返事で承諾。大手損保会社シンクタンクの
主席研究員の方と3人で現地集合、各地の凄まじい震災の光景に私の人生観は激変…
私は一眼レフカメラとビデオカメラを持参した(当時は静止画動画一体カメラがなかった)。
だが瓦礫の山が続く光景を目にして衝撃のあまり撮影を躊躇、シャッターを押せなかった。
撮れたのは舞浜の住宅展示場のモデルハウス、地震で地殻が移動した明石大橋の橋脚、
地盤が沈下した神戸ポートピアの波止場、レールが宙に浮いた状態の山陽新幹線高架橋、
レールが破断した阪神電鉄の軌道など被災した公共の建築物のみ…調査者失格だったね。
しかし調査目的の住宅地盤改良による耐震性確保は確認出来た〜柱状改良、鋼管杭など。
その後、住宅建築時の地盤地質調査と地盤改良による耐震補強は標準仕様になっていく。
あの時、アドマンとして現地調査の一員に加われたことは、私の人生を大きく変えた…
詳しく記すと一冊の本になるほど多くの体験をしたが今はその時間はない。
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